2011年 03月 04日
映画一揆 大阪電撃作戦 いよいよ明日3/5から! 『泥の惑星』加瀬修一(プランナー/ライター)再掲載 |
『泥の惑星』-泥だらけの純情は、星に向かって突き進む-
加瀬修一(プランナー/ライター)
日本映画学校の卒業制作上映会で観た『泥の惑星』は、まとまっているのかいないのか、よく分からなかった。それでも面白かったのは、いまそこに生きている俳優が、瑞々しく描かれていたからだと思う。本作で井土紀州監督は、企画・脚本に参加していない。学生たちが原案を出し、それを天願大介氏が脚本にしている。監督は上映会のパンフレットでこういっている。「自分が書いたシナリオなら、登場人物が自分の中に生きているから、その人物像を俳優に伝え、話しながら作り上げていけばいい。しかし、今回は私自身が人物を掴み切れていないから、役者とリハーサルを重ねながら、人物像をさぐらなければならなかった」徹底的にシナリオを分析し、時に解体して再構築する。しかし、活字で書かれた人物は、俳優の肉体を通してしか立ち上がることはない。「そこで私は七転八倒することになったが、若き俳優たちは本当に頼りになった。自ら考えた人物像をどんどん私にぶつけてきた」もがき苦しみながらぶつかり合い、発生したエモーションが物語に亀裂を入れた。その亀裂から血が滲み出すように、人間が立ち上がってきたように感じる。そして、その息吹を焼きつけようとする撮影の高橋和博さんの姿勢は、常に攻めていた。
ハルキとアキの出会いのシーン。赤いカーディガンを羽織って、あんな風に微笑まれたらそりゃ惚れちゃうよ。そこに理屈ではない説得力が生まれるのは、アキを演じる千葉美紅さんの表情があるからだ。上川原睦くんのスッとした面持ちが紅潮する様は、ハルキが走り出す前に感情が動く、劇的な瞬間だ。矢崎初音さんの演じたミユは、激しくサックスをふるわせながら、不機嫌な顔の裏に熱情を隠していた。まさに、劇中の高校生と同じように不安と戸惑いを抱え、いまを突き進む若き俳優たちは、見事に映画の中で生きていた。
そしてもう1人。小林歩祐樹くん演じるミスター留年こと杉浦。短いが印象的なシーンがある。街頭で歌をうたっている元引きこもりたちに、「素晴らしい。才能が無いって清々しいです。」という。ひとり女性が食って掛かる。「バカヤロウ、それを言っちゃお終いだろうが!」、杉浦「どうしてそんなに才能が必要なんですか!?」、動揺する元ひきこもりに女性はいう「サトシは歌いたいから歌うんでしょ。理解も共感もいらないっていってたじゃない」、サトシ「そんなのウソだよ。やっとわかった。俺、みんなに理解して欲しい。もう1人は嫌だ」、杉浦は2人を抱きしめ叫ぶ、「誰だって理解してほしいんだ。誰か!この人たちを理解して下さい。私たちを理解して下さい。もっと理解して下さい。もっと見て下さい!もっと、もっと……」。理解も共感もいらない、でもどこかで自分を認識してほしい。このジレンマは永遠に続く問題だと我が身を顧みた。
やがて杉浦は全てからリタイヤすることになり、ひきこもっていた彼らは肩を組み高らかに歌い続ける。クライマックス。杉浦の言葉を受けたアキは、ハルキに向かって初めて素直に心情を吐露する。この変化こそが、監督から俳優たち・観客へのエールであり、自身の宣言だと思う。そんなことをいったら井土監督には、「いやぁ、そんなご大層なもんじゃないですよ」なんて、あの笑顔で言われてしまうかな。
冒頭で「まとまっているのかいないのかよく分からなかった」と書いた。今回観直して、そりゃそうだと納得した。監督、俳優、スタッフが一緒にのたうち回って格闘したんだから、キレイな顔で済むわけがない。泥にまみれて、ボッコボコになっていて当たり前だ。でも、真っ直ぐに前を向いたその顔は、どこまでも清々しくて、逞しくて、美しい。もう、本当、悔しいくらいに。
映画一揆 井土紀州2011inOSAKA 大阪電撃作戦
詳しいスケジュールは→http://www.cinenouveau.com/image/eigaikki.jpg
大阪九条シネ・ヌーヴォXにて 3/5(土)~3/18(金)まで
http://www.cinenouveau.com/
※3/12(土)ヌーヴォXにて、監督トークショー開催予定!
引き続きPLANET+1(中崎町)にて 3/18(金)~3/24(木)まで
http://www.planetplusone.com/
映画一揆 井土紀州2011 名古屋ええじゃないか!
名古屋シネマテークにて開催決定!
http://cineaste.jp/
映画一揆 井土紀州2011 in 高崎
シネマテークたかさきにて開催決定!!!
http://takasaki-cc.jp/top
加瀬修一(プランナー/ライター)
日本映画学校の卒業制作上映会で観た『泥の惑星』は、まとまっているのかいないのか、よく分からなかった。それでも面白かったのは、いまそこに生きている俳優が、瑞々しく描かれていたからだと思う。本作で井土紀州監督は、企画・脚本に参加していない。学生たちが原案を出し、それを天願大介氏が脚本にしている。監督は上映会のパンフレットでこういっている。「自分が書いたシナリオなら、登場人物が自分の中に生きているから、その人物像を俳優に伝え、話しながら作り上げていけばいい。しかし、今回は私自身が人物を掴み切れていないから、役者とリハーサルを重ねながら、人物像をさぐらなければならなかった」徹底的にシナリオを分析し、時に解体して再構築する。しかし、活字で書かれた人物は、俳優の肉体を通してしか立ち上がることはない。「そこで私は七転八倒することになったが、若き俳優たちは本当に頼りになった。自ら考えた人物像をどんどん私にぶつけてきた」もがき苦しみながらぶつかり合い、発生したエモーションが物語に亀裂を入れた。その亀裂から血が滲み出すように、人間が立ち上がってきたように感じる。そして、その息吹を焼きつけようとする撮影の高橋和博さんの姿勢は、常に攻めていた。
ハルキとアキの出会いのシーン。赤いカーディガンを羽織って、あんな風に微笑まれたらそりゃ惚れちゃうよ。そこに理屈ではない説得力が生まれるのは、アキを演じる千葉美紅さんの表情があるからだ。上川原睦くんのスッとした面持ちが紅潮する様は、ハルキが走り出す前に感情が動く、劇的な瞬間だ。矢崎初音さんの演じたミユは、激しくサックスをふるわせながら、不機嫌な顔の裏に熱情を隠していた。まさに、劇中の高校生と同じように不安と戸惑いを抱え、いまを突き進む若き俳優たちは、見事に映画の中で生きていた。
そしてもう1人。小林歩祐樹くん演じるミスター留年こと杉浦。短いが印象的なシーンがある。街頭で歌をうたっている元引きこもりたちに、「素晴らしい。才能が無いって清々しいです。」という。ひとり女性が食って掛かる。「バカヤロウ、それを言っちゃお終いだろうが!」、杉浦「どうしてそんなに才能が必要なんですか!?」、動揺する元ひきこもりに女性はいう「サトシは歌いたいから歌うんでしょ。理解も共感もいらないっていってたじゃない」、サトシ「そんなのウソだよ。やっとわかった。俺、みんなに理解して欲しい。もう1人は嫌だ」、杉浦は2人を抱きしめ叫ぶ、「誰だって理解してほしいんだ。誰か!この人たちを理解して下さい。私たちを理解して下さい。もっと理解して下さい。もっと見て下さい!もっと、もっと……」。理解も共感もいらない、でもどこかで自分を認識してほしい。このジレンマは永遠に続く問題だと我が身を顧みた。
やがて杉浦は全てからリタイヤすることになり、ひきこもっていた彼らは肩を組み高らかに歌い続ける。クライマックス。杉浦の言葉を受けたアキは、ハルキに向かって初めて素直に心情を吐露する。この変化こそが、監督から俳優たち・観客へのエールであり、自身の宣言だと思う。そんなことをいったら井土監督には、「いやぁ、そんなご大層なもんじゃないですよ」なんて、あの笑顔で言われてしまうかな。
冒頭で「まとまっているのかいないのかよく分からなかった」と書いた。今回観直して、そりゃそうだと納得した。監督、俳優、スタッフが一緒にのたうち回って格闘したんだから、キレイな顔で済むわけがない。泥にまみれて、ボッコボコになっていて当たり前だ。でも、真っ直ぐに前を向いたその顔は、どこまでも清々しくて、逞しくて、美しい。もう、本当、悔しいくらいに。
映画一揆 井土紀州2011inOSAKA 大阪電撃作戦
詳しいスケジュールは→http://www.cinenouveau.com/image/eigaikki.jpg
大阪九条シネ・ヌーヴォXにて 3/5(土)~3/18(金)まで
http://www.cinenouveau.com/
※3/12(土)ヌーヴォXにて、監督トークショー開催予定!
引き続きPLANET+1(中崎町)にて 3/18(金)~3/24(木)まで
http://www.planetplusone.com/
映画一揆 井土紀州2011 名古屋ええじゃないか!
名古屋シネマテークにて開催決定!
http://cineaste.jp/
映画一揆 井土紀州2011 in 高崎
シネマテークたかさきにて開催決定!!!
http://takasaki-cc.jp/top
by eigaikki
| 2011-03-04 16:27